2011年7月1日金曜日

社会性と個人主義

社会性を持つのって、意外に難しい。

ある意味、置かれている状況を俯瞰し、客観視できないとダメだ。それができない場合は、個人主義的な行動に走ってしまう。でも、我がままな振る舞いをする人は、自分では分かってない。なぜなら客観視できないから。

そのように考えると、個人主義で自己中心的だと思える人も、実は自分はそうは思ってないんだろう。

自分を自己中心的だと思えるぐらい客観視できてるような人は、自ずと他人との距離感も把握しており、社会性の高い人だと言える。だから、周りが見えてないな、という人に「周りを見て下さい」といっても、自分では見えているつもりになっているのでムダなのだろう。

東京は、極めて高い社会性を求められる社会だ。人が多いからしょうがない。どこで他人と妥協し合うのかを、暗黙的に探り合い、自分のポジションを決め、その環境の中での義務と権利を確認しなければならないからだ。

でも、そんな事を考えている人って、ほとんどいないんだろうな。

社会が、ナリで(有るがままに自然と)助け合い、支え合い、分かち合うようになるには、一人一人の社会性(民度と呼んでも良いかも知れない)の高さが鍵になるが、現状としてはほとんど期待できない。

やはり日本の場合は、制度で縛る「お上統制」型の社会しかあり得ないのかな。

その場合は、一人一人は個人主義的で良く、実際そうなっている。サービスの形も社会性を期待するものよりは、個人主義的なものが流行るのは、そういった国民性もあるんだろうな。

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