2011年7月27日水曜日

近未来のライフスタイル

段々と、徐々にMacbookとiPadの距離が近づいている。タブレットとノートでできること、したいことは明らかに違うようだが、多くの部分はラップしている。

メール、Web、twitter、pdfの閲覧、写真管理、音楽管理、簡単な書類の作成、動画編集...ぐらいかな?あと、blogの更新か。正直言ってユーザビリティの問題だけだ。コンテンツの作成に重きをおくのか、閲覧だけで良いのかによって、MacbookとiPadのどちらがベターかが決まる。

悩ましいのは、この線引きがかなり難しいことだろう。境界領域にいる人はかなり多いと思う。Macbook Airの携帯性が高まったことが、より判断を難しくしている。

最近「断捨離」という言葉が流行りだが、これもひとつの例になるだろう。外出時に行う作業の10%にも満たない、コンテンツ作成を捨てられるかどうかが、iPadを使えるかどうかの分水嶺でもある。そう考えると、やはりiPadというのは偉大な製品で、人々のライフスタイルを見直すきっかけを作っているとも言える。

決め切れない人のためのプロ仕様「MacPad」もあり得るかと思ったが、せっかく崩したライフスタイルを旧来の形に戻す可能性のある製品は必要ないだろう。

iPadのみならずApple製品を見ると、その制約の作り方がすごく気になる。Apple製品は決して万能を目指したものではない。というか万能なものはなく、極めて明確に制約を設けており、その制約の中でのベストを目指している。同じ制約された領域で戦う限りはAppleに勝てないし、ずれた領域では顧客を獲得できない。それぐらい、その領域設定は見事に近未来のライフスタイルを言い当てている。

米国国債までデフォルトを懸念されるような状態にあり、先進国がこぞって経済成長した時代はとっくに終わった。高齢化を通り過ぎ、高齢社会にある日本で、新しいライフスタイルはどこにあるんだろう?iPadでは無い、更なるパラダイムシフトが求められているのかも知れない。

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