2012年8月22日水曜日

不法占拠のタイミング

ようやく政府も「不法占拠」と言い始めた。韓国国内でどのように習っているのかは分からないが、竹島は日本の領土であり、韓国の行動は不法占拠以外の何物でもない。

簡単な紐解きで行くと、19世紀の朝鮮半島はほとんど国の体をなして無かったのは、理解されているのだろうか?ソウルですら、舗装されず、上下水道も整備されてなかったし、未だに清に冊封されていた。つまり従属国だ。そのような状態で領土認識があったとは思えない。

その後、20世紀前後のタイミングで、清の脅威を感じた日本が朝鮮半島の独立を求める。つまり、朝鮮半島にしっかりしてもらわないと日本が危ない、という事だ。日清戦争に勝利した日本は、何よりも朝鮮半島の清からの独立を望んだ。

その後、属国意識の強い朝鮮半島の自主自立が思うように進まないのを見かね、列強国との話し合いの末、1910年日韓併合を行う。併合した以上は内地との不平等はないようにとの意識で、多くの税金を投入しインフラ整備を進める。1900年ごろと1930年ごろの写真を比較したり、情景の記述を見ると、どれだけ投資したかが分かる。

1945年の日本降伏を受けて、朝鮮半島は受動的に独立することになる。最近の論では、自主的に独立を勝ち取った訳ではない歴史的経緯が、国民意識を歪めたという意見もある。

竹島の問題を振り返ると、日本に正式編入されたのは1905年、朝鮮半島が日本に独立させてもらいながらも、国として未熟だった時だ。この時点で、朝鮮半島に国の意識があったとは思えない。竹島には、それ以前に日本の漁師が住んでいたという事なので、至極真っ当に日本の国土と認定された。

次に竹島が出てくるのは、サンフランシスコ講和条約前後だ。サンフランシスコ講和条約では、竹島は日本の領土とされたが、その発効直前に韓国の李承晩大統領が、李承晩ラインという自分勝手な線を引いた。それが、現在の竹島問題の原点だ。

タイミングを見てみよう。サンフランシスコ講和条約の発効は1952年4月28日、李承晩ラインの設定は1952年1月18日だ。つまり、李承晩ライン設定時点では日本は連合国の占領下にあった。このため内政、外交、防衛など全てはアメリカを始めとする連合国の手にあり、日本が国として動けないタイミングを狙った卑劣な侵略と言わざるを得ない。

その後も、自衛隊を動かせば国際世論から軍国主義の復活と罵られる事が目に見えているので、国際司法裁判所付託という手を使う他なかった。が、韓国が付託拒否するという流れで、最近まで来ていた。

こういった事を理解した上であのような暴挙を続けているのだろうか。

従軍慰安婦の問題も同じで、1965年の日韓基本条約締結時に、今後見つかるかもしれない戦争に関する諸問題を含めた完全で恒久的な解決を条件に、韓国の国家予算(3.5億ドル)の3年分以上(11億ドル)という莫大な賠償金及び借款を拠出した。この莫大な金に含まれているのは、例えば従軍慰安婦に関わる個人補償などだ。しかし、時の韓国政府が個人補償に回したのは全体の5%程度で、残りをインフラや産業に投資した。「漢江の奇跡」は日本の賠償金ならびに借款を活用して実現した。

それ以外にも日韓併合時に造ったインフラ等資産、同15年分以上(53億ドル)も放棄しているし、一度は捨てられたハングルを再教育したのも併合時の日本だ。

歴史的に客観的に見て、近代韓国は日本が造ったと言っても過言ではない。

お隣りの国であり、国際社会の中で同じような苦労を分かち合う、ある意味同士として、長らく仲良くする努力をしてきたが、もうそろそろ見切りをつけても良いのかも知れない。相手から仲良くしたいというシグナルが出てない以上は、何をやっても無駄だ。

今後も嘘に塗れた歴史を国民に教え続け、自己中心的に振る舞い続け、皆から嫌われ続けるんだろう。可哀想なのは韓国国民だ。真実を知れば全てのアイデンティティが崩れるのだから。

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