2010年3月15日月曜日

長崎なう(Kozchi適性も)

今日は、出張で長崎にきた。すでに、帰りの長崎空港行きバスの中。

会議は14時からだけど、観光しようと、ちょっと早めに到着。本ブログでも何度か紹介したが、ミーハーな私は、すっかり幕末、いや龍馬マニアと化している。長崎は、龍馬の足跡が多く残る場所だが、時間は限られている。せいぜい2時間半かな。行くべきところを心に決め、いざ長崎空港に降り立った。

雨。そして、風。
すっかり春の陽気だが、なかなか厳しかった。

スーツだし、メインの会議もある。「春雨じゃ、濡れていこう」とは言えず、小さな小さな、まるで傘地蔵のような傘をさしながら、身を縮めて歩くことになった。

観光ルートは、丸山から寺町を抜けて、亀山社中があったとされる場所まで。晴れてたら、1時間くらいの道程だと思う。

亀山社中跡地は、「竜馬がゆく」あとがきによると、司馬遼太郎が取材に訪れた時、まさに解体されんとしていた、とのことだったので、全く期待せず、ただ当時と同じ目線で風景を眺めてみることだけを目的とした。

長崎空港から市中に向かうバスに乗り、中央橋で降りた。そこから、丸山に向かって歩くことに10分くらい。入り口についたと思ったら、目の前に福砂屋本店が。お土産を頼まれてたのでラッキー、早速入ってみた。後で調べると、何やら博物館的な要素もあったらしい。店員さんはさすがに丁寧で、日本の老舗を感じた。すでにびしょ濡れの姿をみて、タオルを差し出してくれた。ありがたい。

その後、すぐ近くにある花月を見学。入れないと知りながら、玄関まで入り込み、歴史が刻み込まれた提灯と看板を確認。聞いてはみたが、当然入れてもらえず、退散した。





花月を出ると、ますます雨風が強くなり、もう体の半分は水浸しな感じ。会議を考えると、最後にどこか喫茶店で1時間はインターバルを入れないと、とても可哀想な感じになる。それでも路地を通り、なるべく昔の面影がありそうな場所を選んで歩いた。

すぐに寺町に着いた。ここは京都のような雰囲気がある。時々通るタクシーを横目で見ながら、ひたすらに歩いた。これだけ宗派の違うお寺が並んでで、よくケンカにならないものだな、とか思いながら歩く。と、「亀山社中記念館」なる文字が。良かった、ちゃんと整備されてたんだ、と少し安心。

「龍馬通り」と名付けられた石段を上ること10分くらい。丸山までの距離は、飲みに行くにはちょうど良いが、酒に酔った龍馬たちは、這々の体で石壁を手がかりに登ってきたことだろう。少し、石壁を撫でてみる。

ようやく頂上に。寺町も含めて、ここに至るまで、ほとんど人に出会わず、天候のせいなのか、まだメジャーじゃないのか、と思ってたら、意外に人がいた。といっても、7〜8人。

聞くと、「竜馬がゆく」の連載と文庫化に従って、保存の声が高まり、何とか解体を逃れたらしい。2009年8月に開館。展示品は基本的に見たことがある写真や書簡のレプリカで、あまり目新しいものはない。やはりここは、展示物ではなく、場所が貴重だ。もしかしたら、建物もなくても良いかもしれない。龍馬たちが見た風景を感じることができて良かった。





その後、記念館の展示室というところに行ってみた。さっきの展示品のコピーが置いてある、地元の有志が作った手作り施設のようだった。ここで見た、若かりし龍馬の写真は初めて見たが、全く印象が違う。27才当時と言うので、大河ドラマの現時点での年齢ぐらいだろう。目がパッチリしてて、現代風だ。格好良い。真贋に若干の疑いを感じるが、一つの目新しい発見だった。







その後は、若宮神社を抜けて、眼鏡橋に行き、そこでタイムアップ。昼飯兼服を乾かすのに必要な50分ほどを確保して、出張に便乗した観光を終了した。会議はつまらんかったが、長崎は良い所だった。

会議後は、Kozchiの運用を想定して、軽く散策した。こういった、お店が薄く広がる場所で、売上規模の小さな個人商店が多く、物販の比率が高いところは、Kozchiに最も適性があると思える。

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