2010年5月5日水曜日

リスクの仕分け

リスクには「取れる/取れない」「取る/取らない」の2軸の分類方法がある。前者は可能性による分類であり、後者は意思決定によるそれである。

可能性のないものに対して意思決定することはナンセンスなので、当然ながら、可能性判定が先行させる必要がある。しかし、多くの人は可能性評価を無視して、意思決定のみを行う傾向にある。つまり、できるできないは置いておいて、やるかやらないか、を決めたがる。

そこには「できないと思ったら、何事も実現しない」だとか「成功するまでやり抜けば、できない事はない」といった、ある種の正論を含んだ精神論がある。日本人には古くからあるメンタリティの一つだろう。

第二次大戦へと突き進んだのも、近衛の理論ではなく東條の精神だった。自論を無理矢理通し、その後は決定論的頑なさを拠り所に、精神論を振りかざす。

そこに待ち受けるのは、玉砕だけだ。
ここにも精神論の脆弱さがある。玉砕途上の実行者は、未来への礎としての意識が強く、その道が正しい方向を向いているかには頓着しない傾向がある。つまり、玉砕が目的化して、玉砕に賛同しない異端者は排除される。明治維新の志士たちもその一例だろう。

開国してから常に、欧米の理論にやられてきたにも関わらず、相変わらず、精神論と決定論で物事を進めようとしている。それは国家だけでなく、企業にも言える。そろそろ目をさまし、理論を意思決定の基礎に据えるべきだろう。

ひとつの注意点は、可能性の幅をなるべく大きく見積もることかもしれない。可能性を堅く見積もると、未来が開けてこないだろう。

できるはずだ、というポイントを冷静にかつ、楽観的に見極めなければいけない。ここに、理論と精神のせめぎあいがある。

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