2010年5月24日月曜日

大企業と拘り

ここ半年ほどグレゴリーの3wayバッグを使っている。グレゴリーはバックパックのロールスロイスと言われるほど、かつては高嶺の花だったが、今はわりと値段もこなれているし、どこでも手に入るようになった。

持ってみると、非常にシンプルではあるが、バックパックにした時の持ち具合の良さは、3wayバッグとは思えないほどだ。

ロールスロイスとまで称されるバックパックメーカーがビジネスバッグを作ることは、なかなか難しかったのではないか、と思う。素晴らしいバックパックメーカーは他にもたくさんあるが、うまく定義を広げることができたのは、グレゴリーぐらいのものなんじゃないかな?

今までも海外の商品をいくつも使ってきたが、最も印象的なのは、その商品定義への拘りだ。自らの拠って立つポジションをしっかり定義付け、そこには何が必要で、何が不必要なのか、しっかりと見極めている。ブランド力というのは、そういうものだろう。

海外のブランドは「何を付けて」「何を付けないか」というポリシーが、日本のメーカーよりも強い気がする。特に、付けてはいけないものへの強い拘りを感じる。その意思決定は、シンプルな「らしさ」の追求だったりする。

翻って日本のメーカーは、総じて拘りが少ないように見える。むしろ拡大の過程で拘りを捨ててきた、と言うほうが正しいかも知れない。その証拠に、事業の拡大=総合化、という方向性が一般的だ。総合電機、総合商社、総合建設業、総合エンターテイメント企業など、企業の冠には「総合」という文字がよく使われる。

この総合化を目指した拡大化の中で、日本企業は拘りをなくし、らしさを失っていった。らしさの喪失は、企業として非常に危険だろう。買い手が積極的に選ぶ理由を手放した訳だから。

また、この総合化の流れは不可逆で、麻薬のようなものだ。今さら何かに絞ろうとするには、相当な痛みを覚悟しなければならないだろう。

そういった企業が取り得るのは、それこそ総合的なマネジメント力の向上のみではないか?積極的に選ぶ理由のない商品を選んでもらうのは、マーケティング力や調達力を中心とする、総合マネジメント戦略しかないように思える。

そのマネジメント力においても、既に優位性がないとすれば、、、いずれの道も無血では開かれないのだろう。

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