2010年5月10日月曜日

ゼネコンの性

勤務先が変わってから、社内の打合せが多くなった。しかも色んな部署を跨いだ、部長〜本部長クラスが10人ほども集まる会議だ。

大企業らしく、会議のための会議で何一つ決まらない。それぞれが部署を背負ってきてるので、余計なリスク(というか、単なる仕事)は負わないように、細心の注意を払いつつ進行する。

まあ、そういう部署にいる訳だから、その不毛さを嘆くことはない。極めてバカバカしくはあるが、得られる情報はさすがにすごい。勉強にはなる。

こうやって比較的社内ヒエラルキの高い人たちの話を聞いてると、当社の若者が抱く不満というか憧れと同じことを感じている事が分かる。つまり、それが哀しいゼネコンの性という訳だ。

どんな打合せでも、議論が終盤にさしかかると、当社は箱を作る以外にどうやって儲けたらいいか分からない、と異口同音に言う。

事業に足を伸ばさなきゃいけないと思うんだが、と部長が無邪気に発言したりする。でも、当社のDNAとして事業には踏み出せないよな、と本部長が他人事のように言う。官庁や電力、デベなど、カネを出す側に回れるものなら回りたいね、と副本部長が何も知らない若者のように呟く。

骨の髄まで、請負気質が染み付いた人たちは、その解決策への一歩を踏み出す事なく、ただ憧れる。ある程度大きな裁量権のある、これらの人が腹を決めてくれないと、話は前に進まないんだが。結局、新入社員の居酒屋でのグチ話のようになる。

恐らく、どこまで行っても、いつまで経っても、この青臭いジレンマからは逃れられないんだろう。

みんな、このジレンマが解消しない理由を潜在的には理解しているんだと思う。

それは、一つには請負業はリスクが少なく、利益率は低くとも着実に売上が立つ、ということだ。もう一つは、その売上の額が極端に大きいということだろう。この二つは、麻薬のように作用し、会社からイノベーティブな考え方やリスクを負ったビジネスへの取組意欲を消してしまう。

つまり、普段リスクの少ないビジネスに身を浸しているのでリスクを過大評価してしまうのだ。ちょっとのリスクでも「危ない危ない」となる。

また、往々にしてリスクのある新規ビジネス(特にサービス領域)は、利益率は高いが売上単価は安く、初期には万の単位の売上しか上げられない場合が多い。もちろん利用者が増え、数量が出ることで莫大な売上に結びつく可能性はあるが、初期は少なくともそうだ。ゼネコンは億の単位の仕事である。初期状態を比べたら、どちらが絶対額として売上/利益を上げるかは自明である。

これによって、将来性のある利益率が高いビジネスは、ゴミ同然の扱いを受ける。「俺とお前はどっちが稼いでで、会社に貢献しているんだ?」と言われれば、ぐうの音もでない。

そうして、強い憧れを持ちながらも、請負業として箱作りに専念することになる。市場はシュリンクし、利益率は下がり、将来の見通しは限りなく暗いにも関わらず、一歩が踏み出せない。そしてジレンマは続く。

高い見識を持ち、旧勢力をものともしない、ゴルバチョフのようなリーダーが出てきて欲しい。自分でやればと言われるかも知れないが、そのパスにいない自分は、リーダーの出現を望むしかない。ここにいる限りは。

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