2010年5月3日月曜日

流され続ける日本

半年ほど前に書いたメモが、今なお正鵠を射ているような気がする。うーむ。。。先が読めない。。

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明治維新以降、主導権を握ろうとしておかしな道に入り込み、結局、主導権を握れずにいる日本がいる。

特に高度成長期は経済発展著しく、政治的成長ができなかった。いや、する必要がなかったのかもしれない。主導権を握ろうとする意思を見せる事もなかった。平和や環境への取組みは、明らかにチャンスだったにもかかわらず、ロクな政治的活動はなかったのではないか?

政治は結局、アメリカに主導権を握られ、アメリカは主導権を握ったまま崩壊へと進んでいる気がする。

経済は、深く考える必要がなく、人件費の安さをトリガーとして主導権を握ることができた。が、他国との差が縮んでも、握ることに頓着しなかったため握り方もよく分からず、議論をしない国民性故握り続けることができなくなったのではないか?

結局、政治三流、経済三流ということか。
一人当たりGDPはすでにトップ集団からは滑り落ち、欧米の後塵を拝している。知識社会では500万人規模の都市が適しており、日本は経済圏として過大であることも指摘されている。地方分権が最良の打ち手のように思えるが、大きな変化を起こすほどには、表面的には逼迫していない。

本当の変化は3〜5年後かな?

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