2010年7月30日金曜日

スマートグリッドの危うさ

ここの所ずっとスマートグリッドの、少し広く言うとエネルギーについて考えている。

再生可能エネルギーや原子力、バイオマスなど、現代はエネルギーを選びたい放題なんだけど、コストとの見合いで、化石燃料メインで落ち着いている。

スマートグリッドは、大きく分けると(1)発電(2)送配電(3)デマンドサイドマネジメントに分かれる。スマートグリッド的には(1)はメガソーラーやウィンドファーム、(2)は直流送電、(3)はデマンドレスポンス、になる。

結局、何を選択しても莫大なコストがかかる。省CO2という目的に対しては正しい方向に進んでいるが、一体誰がそのコスト負担をするのかという事になる。まぁここには議論の余地がなく、最終消費者だと言える。つまり、省CO2な取り組みを許容するためにはカネが必要で、省エネを推進して、その原資を稼がなければいけない。省エネなくして省CO2はないのだ。

人々が省エネに取り組んできたのは、何よりカネの節約になるからで、その結果として個人の懐が暖まるからに他ならない。しかし、省エネはもはや節約の手段ではなく、カネを稼ぐ手段として期待されている事になる。そして問題は、省エネを推進しても、高コスト発電を使うようになった結果、電力単価が上がり、消費者の懐は何ら暖まらないという点だろう。むしろ、お寒くなる可能性の方が高い。

この先化石燃料の価格が上がり、再生可能エネルギーの価格は下がる方向にあることは間違いない。よく言われるのは、高コストと言われる再生可能エネルギーの価格がグリッドパリティに近づき、越える時期が遠からず来るだろうということだ。(グリッドパリティとは両者の均衡点を指す言葉)

これって化石燃料を使い続けても電気代は上がるんだから、相対的に安くなる再生可能エネルギーを積極的に使おうよ、ということだが、個人の電気代は否応なく上がって行く事になる。電力使用量は減ってるのに、上がって行く電気代。

頑張っても頑張っても、電気代をは下がらない。良くて現状維持。高いお金を出して省エネ家電に買い換えてもダメ。気を抜いてもダメ。絶対的なお得感もなければ、何年使えば元が取れるという計算もあまりリアリティのある話ではなくなる。

そんなスマートグリッドにみんな乗っかりたいと思うのだろうか?

可処分所得が減る中、上がり続ける電気代。やらなきゃ損する、という詐欺のような言い方しかできない省エネではなく、やると得する、という言い方ができるようにならないと、人々は積極的に参加できない気がする。

エネルギーは全て共有化して、みんなで作って、みんなで使う。賢い使い方をして「エネルギーポイント」を稼ぐと、ポイント数に応じたご褒美がある。エネルギー使いが荒いと、単価が上がるなどのペナルティがある。と言った仕組みがないとダメじゃないかな?

スマートグリッドを中心としてエネルギー問題を考えると、どうしても社会主義的になってしまうが、今後は資本主義と社会主義の使い分けが大事だと思う。また、日本はそういった曖昧な使い分けが得意な国だとも感じる。

政治力次第だが、意外にスマートグリッド的な社会構造は日本にフィットするのかも。

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