2010年9月3日金曜日

自己中心的ソーシャル

ソーシャルサービスが花盛りである。全部アメリカからの輸入だが。

twitter、facebook、foursquare、groupon、etc。これらは連携して、さらに存在感を高めている。中でも、twitterがバイラルの核になっており、そういったソーシャル系においてはインフラ化している。

何となく釈然としないのは、少なくとも日本人の中で、ソーシャルサービスを活用できるほど、コミュニケーションが得意または好きな人がいるのか、という点。もちろんいない訳ではないだろうが、サービスの隆盛を支えるほどの人数なんだろうか?

そもそも中心となっているtwitterが、実は限られた人々のコミュニティとも言えない繋がりしか作ってないとしたら、コミュニケーションの質こそがサービスの形を決める。つまり、アメリカ発のソーシャルサービスってのは、コミュニティではなくコミュニケーションに軸足を置かざるを得ないと言える。

もともと匿名でdisることが目的の一つになっている2chと、世界一投稿数は多いがほとんどがソーシャルな意味を持たないブログに支配された日本のネット界は、コミュニケーションよりもコミュニティに重きを置いてきた。いわゆるムラ社会において、本名が基本のfacebookや同好の士が集まりにくいtwitterは馴染まないんじゃないかと思ったり。

もっと、日本人の特性に合ったサービスってのがあるはずだと思う。つまり、コミュニケーションではなくコミュニティに主眼を置いたサービスだ。ガラパゴスと言われようが、DNAに刻み込まれた日本人的特質までは変えられないだろう。

ムラ社会という狭いコミュニティに属していながら、日本人は極めて個人主義が強いのが特徴だ。社会のために何かとか、口で言っても行動は伴わない。つまり、損得勘定で動く事が多い、ということ。これって、そもそもアメリカ的なソーシャル行動とマッチしない。

そのメンタリティのベースにあるのは宗教だろう。コミュニティの中に個があることを前提にしているキリスト教などと、個人の生前死後の幸せを願う仏教や自然との関わりの中に個の存在と幸せを感じる神道など日本的宗教との違いだと思う。つまり日本の宗教において、個人と自然は登場するが、他人との関わり方、すなわちコミュニティやコミュニケーションについての示唆は比較的少ないのではないかと推察する。

他人の事や関わり方が分からないから、横目に見ながら、遅れないように早すぎないように、他人を観察しながら歩調を合わせてゆるゆると進む。そんな社会が日本だ。つまり、人との距離感を測ることでしか、自分の立ち位置を決められない。

その一方で、先に挙げた2chやブログ、そしてニコニコ動画もそうだが特徴的なのは、「見て!見て!私を見て!」という独善的で刹那的なコメントだ。これが日本人の基本姿勢だ。

言わば、「人は一人では生きられないが、地球は自分中心に回っている」というのが、日本的メンタリティだと言える。そんな日本的なモノの見方、考え方に合うサービスは、シリコンバレーからは生まれてこないと思う。

日本的なソーシャルサービスは、コミュニケーションをできるだけ排除するか、コミュニティに強くコミットするか、といった極端な二択を迫られるような気がする。ほどほどのコミュニティ、ほどほどのコミュニケーションといったアメリカ的ソーシャルに行き着くほど、ヒトが成熟していない。

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