2010年9月29日水曜日

京都・壬生

伏見に続いて、壬生に行ってみた。最寄駅は、阪急四条大宮かJR丹波口。どちらの駅からも10分くらいだろうか。

丹波口からアプローチして、壬生寺へ。そのまま堀川通に抜け、西本願寺を経由して京都駅へ向かうルートを選択。というか、丹波口の駅前で紹介されていた、新選組を感じるルートをそのまま活用してみた。

それにしても面白みのない道で、ほとんど見るものがない。街並みも歴史的な何かを残そうとしている意図は感じられない。まばらに新選組関連の土産物屋さんがあるが、どこも寂れている。

新選組のブームが去ったのか、それともそもそも人気が無いのかは分からないが、観光客も少ない。

新選組は、その位置づけが微妙だ。後の世の人たちが見ると大局観のない人斬り集団のようでもあるが、京都守護職として任に当たった公式警察組織である見廻組と異なり、乱世の危機を感じて自主的に組織された集団であり、方向性は違えど維新の志士と呼ばれる人たちと、本質的には変わらない。

それでも、壬生の街の人たちも、あまり新選組は好きでは無いのかも知れない。いや、壬生に愛着を持っている人がそもそも少ないのかもと思えるぐらい、街に活気や意思、意図、気持ちといったものが感じられなかった。

壬生寺を通り抜け、八木邸、前川邸を眺めつつ、通り過ぎた。それだけ。それ以上ではない。






八木邸はお茶とお菓子がセットで観覧料1,000円という法外な料金だし、前川邸は中の様子を記した間取り図があるだけで入れるワケではなく、土産物屋があるだけ。しかもネット情報によると写真撮影禁止だとのこと。時代遅れも甚だしい。バイラルの拡がりを考えれば、いずれも逆効果だろう。どちらも、もったいない商売をしているもんだ。

そんなことを考えながら、堀川通に向かって細い道を通る。本当に何も無い。

堀川通を下ると西本願寺に着く。ここは、八木邸、前川邸に続く新選組の二ヶ所目の屯所で、しばらくして、また別の場所に再移転することになる。長州に近かった本願寺にしてみれば、厄介な奴らが来た、ということだが、時節柄断れなかったんだろう。出て行く時は、費用を始めとして全ての面倒を西本願寺がみて、「疫病神が出て行った」と大喜びしたと言う。






その後、さらに南下して京都駅に向かった。終了。

街歩き、遺跡探索としては、今までで一番つまらなかったが、京都に対して新たな感想を持った。

それは、京都という街が日本人のアイデンティティの一つの源泉であり、幕末という時代の燃焼を経て焼結し、アイコンとなっている事実だ。これについては、考えをまとめて、別の機会に書きたいと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿