2010年9月22日水曜日

お前らがしっかりしないと、俺たちが楽できないだろ

世代間のギャップを感じる一言。最近言われた。無視したけど。

別にあなた達に楽をさせたいから頑張るつもりはない。あるとすれば、もっと個人的なモチベーションで、家族を楽させたいからとか、自分が楽しく仕事したいから、とか。

世代間ギャップのあるモチベーションは会社の中で解消するしかないが、個人的モチベーションは解消方法を外部に持っていくことができるところが違う。

同期の例を挙げて、もっとシッカリせぇと言わんばかりの話が続いた。個人の問題もあるかも知れないが、教育・育て方に不備があったと感じる部分も多い。

現在の60才前後の方がバリバリだった頃と今では、世界を覆うメッシュの細かさが違う。

人の能力は古今東西そんなに変わらないと思う。もちろんある分布で優秀な人とそうでもない人のバラつきはあるだろうが、95%の人は誤差の範囲内の認知空間の中にいる。つまり、理解できるメッシュの目の数は人によってさほど変わらないとすると、荒いメッシュで育った人と細かいメッシュで育った人は自ずと認知できる空間領域が違うはずだ。

そう考えると、人は年代を経るごとに小粒になっていくのは必然だ。特異な才能を持つ巨人だけが、その年代のギャップを超えられる。昔の人に比べて小粒な自分を嘆く必要はまったくない。

メッシュの細分化は文明の進化スピードと相関があるように感じる。ここ30年ほどは文明が急速に進展しており、それに伴ってすごいスピードでメッシュが細分化している。それゆえ、人が理解できる空間の大きさが急激に縮んでいると考えられる。

だから、団塊世代の人たちが、バブル世代の我々を見て、シッカリせぇというのも分かるが、そう言う前にメッシュサイズの変化を理解する必要があるし、それに合わせた人材育成をしてきたか、という自らの行動を振り返る必要がある。

こういった認知空間の縮小に対抗できるのは、新たな空間への挑戦だけだろう。

昔の人が作った空間はシュリンクしていく運命にあり、先に居た人が圧倒的に有利だ。後に続く人は、前の年代がリタイアするまでは基本的に空間の支配者になれないし、常に小粒と言われ続ける運命にある。空間の支配者たちも、別の空間に行けば小粒との誹りを免れない立場に落ちるとすれば、今いる空間に居続ける方が合理的だ。

そんな関係性が日本の企業/社会の遺伝子には組み込まれている。特に歴史の古い会社には。

ゼネコンは、あらゆる産業の中でも最も古い部類だろう。ほとんどの人がシュリンクする世界の呪縛から逃れられずに、小さな空間の支配者として生きる道を選んでいる。哀しい事だが、そこに居る人たちの気持ちは「お前らがしっかりしないと、俺たちが楽できないだろ」という言葉に集約されている。

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