2010年10月25日月曜日

マトリョーシカ構造

人形の中に一回り小さな人形が入っており、その中にさらに小さな人形が入っているロシアの伝統的なオモチャ。

人間関係って、そういうモノで、世代が進むにつれて、段々とヒトは小さくなっていく。それは、権力の大きさだとか、上司部下の関係などで自ずと進行する、ある種の発展段階なのかもしれない。小さくなればなるほど、コアに近づくが、大局は見え辛くなる。そして、コアというのは、そこにいるメンバー全てが、暗黙的に共有している事柄なので、全く新しくもない当たり前のモノである場合が多い。つまり、世代が進めば進むほど小物感が増す、ということになる。

島田紳助の言葉が、その関係性を如実に物語っている。曰く「自分の地位を脅かすような奴とは仲良くなれへん。こいつは俺を脅かしよらんな、と分かった時に優しくなれる」と。

このマトリョーシカ構造は、延々続く。お笑いを見てると、本当によく分かる。テレビに出てる芸人で番組を仕切らせてもらえるのは、大御所と呼ばれる数人+αで、彼らはいわゆる雛壇をほとんど経験せずに、トップに立っている。雛壇の経験が長いと、いつまでたっても若手、中堅止まりで、番組を作る側には回れない。

つまり、他人のマトリョーシカの中に入って、その存在を安定させると、そこからは抜け出せない。マトリョーシカを作るヒトは、他人のマトリョーシカに入ることは、ほとんどない。それが真実だろう。

他人のマトリョーシカに入ってしまうと、確実に一回りずつ小さくなっていく。他人の作ったマトリョーシカに入る事を拒否して、新しいマトリョーシカを自分で作れるかどうかが、このマトリョーシカ構造から離れる唯一の方法だと言える。

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