2010年10月6日水曜日

無縁社会

いつだったか、週刊ダイヤモンドで特集が組まれて以来、地味だが明確に人々に浸透しつつある言葉。

堺屋太一が、血縁、地縁、好縁とラベリングした時代の流れが、まさか無縁という空疎な世界に帰結するとは、ほんの数年前まで誰も考えなかったのではないか。それほどまでに無縁という言葉には絶望的な響きがある。

そうは言っても昔から、金の切れ目が縁の切れ目とも言うし、日本社会における縁というのは、意外に疎結合なのだろう。最もベーシックであるはずの血縁すら放棄する人が増え、そういった事件を目にする機会が増えているのも、日本社会の中で脈々と受け継がれた、縁に対する潜在的無関心を表しているのかも知れない。

サザエさんにリアリティを感じている人は現代社会に暮らしている限りは存在しないだろう。あの国民的ファンタジーは、かつて存在したかもしれない、縁が豊かだと思われていた時代を想像した、日本のバーチャル原風景でしかない。自分も含めて、これからの社会の中で縁というものに過大に期待したり、依存したりはできないのだろう。

もとより日本社会には縁という概念が希薄だったという前提に立って、無縁社会に対応するには、逆説的だが、コミュニティを強化するしかない。

信仰などによって人々を結びつけることが困難な我が国において、コミュニティを構築し、強化することは意外に難しい。かつてのWetコミュニケーションが当たり前だった時代ならいざ知らず、極めて個人主義的で他者との見えない壁が段々と高く、厚くなっている現代では、尚の事だろう。

また、コミュニティを強化するとは言っても、原則としてコミュニティに過大な期待をできない現代社会では、個人の自立が欠かせない。

つまり、これからの社会を生きていくのに必要な心構えとしては、個人としては自立すること、社会に向けた行動としてはコミュニティ強化に資するビジネスを展開すること、の二点に集約されるだろう。

Kozchiが自分にとっての、そういった取り組みになるよう活動して行きたい。

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