2010年12月20日月曜日

段々と、つながるようになってきた

家庭内で、様々なガジェットが一つのネットワーク回線の中でつながるようになってきた。振り返ってみるとある種の驚きがある。

PC3台、TV、PS3、AppleTV、Scansnap、プリンタ、iPhone

特に、Scansnapのような頭脳を持たない単機能機器や、プリンタのような出力機器が、家庭内のネットワークに簡単につながるようになったのは、本当に最近の事だと思う。10年という単位で見ると、隔世の感がある。

一つの大きな要因になっているのは、標準化だろう。ネットワークやUSBの標準化によって、できることが広がった。それから、ソフトウェアやコンテンツの標準化が進み、洗練されたことで、家庭内の利用に関するハードルもかなり低くなったと思う。

ハードディスクやディスプレイもネットワークに乗せれるので、つまり、パソコンに代表される画面出力やインターフェイスを司る装置も、従来のような複雑さが要求されなくなっている。極端に振るとiPadのようなViewerになる訳だが、そこまで行かなくてもネットワークにさえつながれば、おおよその作業や体験は可能になっていると言える。それを現実的な形で体現したマシンがMacbookAirになる。

別にApple信者でもないのだが、Apple製品を使ってしまうのには、やはり理由がある。

今後の見通せる未来の中で、ネットワークが最大限に活用されていく想定をすると、何が不要になってくるかは自ずと明らかだ。国内メーカーがなぜ、そういった割り切った方向性を持ち得ないのかは、大企業病としか良いようがない。GalaxyやGalapagosもその本質を見越して作ったとは思えない。もし、本質を見通して作っているならば、iPadクローンではない、二の矢三の矢があってもおかしくはない。

これからは、どんどんワイヤレスになる。何一つ配線が必要なくなり、データやアプリケーションはクラウドへ、インプット/アウトプットデバイスはアドホックに活用するようになっていくだろう。そうした時に考え得る最終形は、やはり携帯電話に収斂されるような気がしている。

携帯電話のバッテリーがロングライフ化し、CPUが高度化すれば、それだけで全ての作業が可能になり、TPOに合わせて、画面サイズやインプットデバイスを選択しながら、まさにノマド的な仕事スタイルが確立してしまう。

全てがつながる未来への準備はできているだろうか?レガシーなデバイスやコンセプトに固執していないだろうか?機械はつながるようになってきた。人もつながるようになってきた。施設やお店はどうだろう?文化はどうだろう?言語はどうだろう?

「つなぐ」「つながる」というコンセプトは、たぶん未来を指し示している。

マチカドサーチエンジン
Connecting the Shops.
http://www.kozchi.jp/

0 件のコメント:

コメントを投稿