2011年1月7日金曜日

グルーポンの功罪

少し時期を逸してしまったが、グルーポンおせち事件に触れない訳にはいかないだろう。

まず、自分の立ち位置として、企業が何らかのミスを犯す事は可能性として排除できないし、事後の反省と顧客への対応がしっかりしていれば、穏便に済ますべき事だと思う。

しかし、今回のグルーポンおせちは酷い。事後の対応も酷いと思う。やはり許せないと思うのが、事故や不注意ではなく、恣意的なある種の犯罪目的で行っている事だろう。

残飯のような写真にあるように内容量が、事前にアナウンスされている量より少ない事はよくある。通販ではある程度覚悟しなければいけないリスクの一つかもしれない。今回のように明らかに種類も量も盛りつけもおかしいのは珍しいかも知れないが、カニなんかを通販で買うと、思ったより少ない事はある意味普通だ。

普通といいながら、少し詐欺的な臭いは免れない。原価を下げて競争力を上げる中でのギリギリの作戦だが、こういった作戦が功を奏することはほとんどなく、消費者はガッカリし、そのお店からは二度と買い物をしなくなるので、従来販促や広告で目的とされるリピーターが増える事はない、焼き畑商法と言える。

一発勝負の焼き畑商法であったとしても、詐欺との誹りを免れるために表面は取り繕うもので、今回のように仕切りの数まで減らす事は、まあないだろうと思う。が、ここまでは焼き畑商法として、モラル以上の事は問えないとも思っている。

一番酷いのは、内容物が腐っているという、食品を扱う企業にはあり得ない事態だろう。よく食中毒とかが起きなかったものだとも思うが、それは見た目の貧粗さに助けられたのだろう。買ったものが腐ってるなんて、これはあり得ない。詐欺どころの話ではないだろう。ネットの記事を読んでいると、量も時間も間に合わない事が分かった時点で、お客さんに謝罪するのではなく、とにかく詰め込んで発送してしまおうとしたそうだ。

この判断は何なんだろう?明らかにクレームとなる質と量で発送する意味が分からない。

しかも、内容物や発送時期や発送方法を考えると腐るものが出てくる事は、そんなに想像力が必要な事じゃないと思う。そんなものを送りつけたら、これは犯罪だろう。軽いテロかも知れない。

こういう人が経営しているお店で出される食事は、かなりの確率で腐る一歩手前のものが含まれていると思う。床に落ちても、そのまま盛りつけるような気がする。

こういった、「まあ、いいじゃん。やっちゃおうよ。クレームが出たら、その時適当に対応すればいいんだもの」という発想の人は、少なくとも飲食業には向いてないだろう。

こういう発想だから、ダメだったら辞任する事で方をつけようとする。こういう人だから、また飲食業でリベンジしようとするだろう。これが怖い。こういう人がプロデュースする店には行きたくないが、客受けするツボを知ってるので、意外に繁盛店になったりするもんだ。

この行き場の無い不安感が、この事件が許せないという感情を引き起こしているように思う。

事件としては社長辞任潔し!で終わりかも知れない。お店としては閉店廃業でケリがついたのかも知れない。でも、この事件が残した拭い難い不安は、根本的なルールから逸脱した企業や経営者というのは、辞任や廃業で方がつくような軽いものではないことを物語っている。

そして、この事件の片棒を図らずも担いだのは、グルーポンという世界一注目を浴びる企業だ。

グルーポンの仕組みは、かなり管理をシステマチックに厳密に行わないと、不良品を呼び込む仕掛けだ。不人気店の起爆剤や今回のような詐欺的ビジネスが、一発勝負で使うには非常に効果的だろう。

グルーポンのような仕組みは昔からあり、特に珍しいものではないが、時流に乗ってブームになり、今後一つの仕組みとして定着して行くのかも知れない。爆発的な集客力と一時的なキャッシュフロー改善、そしてリアルとネットを結びつける一つの方法だと思う。

一方で、質のコントロールが難しい事、お客さんはお店ではなくグルーポンのリピーターになるだけだという事、そしてグルーポンに慣れたユーザーは定価で買ってくれなくなる事など、グルーポンがもたらす弊害も多い。

結局、無料ゲームと同じような大きな搾取が、そこにはある。そこにハマった人、お店だけが回遊するドロドロとした底なし沼だと思う。体質改善の方向性(グルーポンの取り分を減らすとか、そもそもの割引率を下げるとか)は競争力を失う事に直結するから、皆が止めるに止められないラットレースになっているんだろう。

何事にもハマり過ぎちゃう日本人向けとも言えるが、最も日本の風土に取り入れてはいけない仕組みのように感じる。

0 件のコメント:

コメントを投稿