2011年1月17日月曜日

特異点としてのゼネコン

ゼネコンっていうのは、考えれば考えるほど不思議な業態だ。自分たちは全てを作っているような顔をしながら、作っているものと言えばアウトラインとリレーションだけだ。実は、建物って言うのは、それだけでできている。

アウトラインというのは、建物の詳細な概要と言ったら良いだろうか。詳細な、という部分が大事だ。国や施主からもらう仕様がある。土地の大きさや形、その土地の属性、建物の想定用途、建物高さや広さ・容積、各種法律・条例、もしかしたら建物の色や材質などが規定されることもあるかもしれない。それらをまとめて、工事できる形にまとめる。整合をとる。詳細化する。基本的な建物としての成立性について確証をとる。

その後は、リレーションが中心になる。人・モノ・金を情報でつなぎ、リレーションを充実させる。あたかも脳内のシナプスのように新しいリレーションを生み出したり、強く太いリレーションになったりする。でも、ここで取り交わされる情報で建物ができるわけでもない。上記の詳細でありながら幅を持った概要をもとに、協力業者がさらなる詳細を詰める。これは、本当に人やモノが動かせるレベルの詳細になる。

そんなやり取りを繰り返しながら、情報上では段々と建物は形になって行く。

さらにこの情報上の建物を実質的なものにする作業が入る。これが工事だ。工事では、既に役割も人もモノを割り付けられた多くの協力業者が、輻輳する形で入っている。ここでもゼネコンは、絡んだ糸を解きほぐすことが役割だ。協力業者は当然、自分の担当領域しか知らない。実際に人やモノを動かす主体は、全体像を知らないのだ。だから、全体像を唯一知る存在としてのゼネコンが意味を為す。

建物の全体像を俯瞰しながら、優先順位をつけ、作業がし易いように環境を整備する。いわゆる工程管理と仮設工事だ。ここだけが、ゼネコンの役割になる。よく考えてみるとテレビ番組で言う「消え物」だ。建物として残るものは何も無い。それでも、建物を造る主体はゼネコンだ。

では、ゼネコンが扱っているモノは何だろう?

情報だ。建物を造る上で必要な与条件の塊や、リソース群をまとめて、工事に必要な情報として再構築して、関係者に提示し、調整する。そう言う事をしているのがゼネコンだと言える。

では、ゼネコンが会社として拠り所にしている価値観は何だろう?

モノづくりだ。我々はモノづくりの会社である。社会のインフラを築き、構造物を通して社会に貢献することを使命としたモノづくりの会社である。そんな風に語るゼネコンマンが多い。

ここにギャップはないだろうか?
情報を再構築して調整する会社とモノづくりの会社って、あまり一致している感じがしないのは自分だけだろうか。僕たちは自分を見失っていると思っているのは、僕だけだろうか?実はこのギャップが、ゼネコンが特殊である事の一因だと思う。そして海外進出が難しい事にもつながっているように感じる。

グローバル競争に挑めるほど、地盤が整っていないのだ。海外の建設会社はいわゆるコンストラクター、建物を建てる事を請け負う会社だが、日本のゼネコンはゼネラル・コントラクター、全てを請け負う会社だ。海外の人が受ける建設会社のイメージと日本の建設会社は全く違う。そして、ゼネコンは何でも請け負う事を標榜しておきながら、建物を建てるモノづくり企業として立脚している。

つまり海外市場では、自分自身を正しく評価できていないので、正しい競争フィールドに立てない。ある意味ではブルーオーシャンだが、信頼が大事な請負業においては中々大変なポジションだと思う。いずれにせよ正しい自己評価に基づく競争フィールドを作り出すか、既存の競争フィールドに適応するような自己認識を持つしか無いだろう。

多くのゼネコンの前身である大工は、まさにモノづくりをする業種だったので、自己評価と競争フィールドが一致していた。現代のゼネコンの特殊性は、自分の捉え方を大工の時代から変えてこなかったことにある。

ゼネコンがゼネコン自身の定義を変えるだけで、見える世界が変化し、閉塞感溢れる業界に光が射すかも知れない。そんな、未成熟ゆえの希望を持つ事もできるが、実態は難しいかな。。。

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