2011年1月12日水曜日

南禅寺水路閣

年が明けてすぐに、京都に行った。いわゆる家族旅行なのだが、なぜか最近は至近の京都に行く事が多い。

関西の北部は凄い雪で、よく行く湖北部は10年来どころか、80歳にもなる方が初めての豪雪と言うぐらいの、積雪量だったようだ。その煽りを受けて京都もかなり降ったとのこと。

待ち合わせの時間まで少し余裕があったので、久しぶりに南禅寺に行ってみた。



元来、寺社仏閣にさほど興味がなかったので、地元とは言え、あまり詳しくなかった。ある時、仕事で歴史的建造物を調べる機会があり、色々見ているうちに詳しくなっていったという感じ。

建設産業は歴史とともにあることが、歴史を勉強すると良く分かる。特にゼネコンは、歴史を蔑ろにすると何も残らない。なにせ、技術では差がつかない世界だから。

そんなこんなで、水路閣には思い入れがある。


明治時代、大きな河川が少なかった京都市内に水を運ぼうと計画されたのが、琵琶湖疎水。若干21歳、大学を出たての田辺朔郎に設計を任せた大工事だった。色んな初めてのある工事で、莫大なカネもかかり工事中はクレイジーだが、終わってみれば偉業である。

初めての発電、初めての浄水場、初めての電車、近代化の全てはここから始まった。

建築的にも初めての鉄筋コンクリート橋が、疎水の上にかけられた。まだ、海外から技術が伝わってきた初期の頃なので、あくまでも実験的に施工された。実験なので、欄干等もなくシンプルなアーチ状の板を置いた感じ。今でも地元の人に使われているらしい。

琵琶湖から東山を通って市内に抜けるルートの中で、有名な場所と言えば哲学の道と水路閣だろう。哲学の道は銀閣寺から京都大学の辺りに流れる疎水の傍に整備された小径だ。そして水路閣は、古刹南禅寺の境内に設置された煉瓦造の水路橋である。

100年前、まだ江戸の雰囲気と明治維新の爪痕が残っており、木造の家屋と寺社仏閣しかなかった京都に、この煉瓦造の構造物はスゴい違和感だっただろう。今で言うと、新宿のコクーンタワー的な違和感なのかも知れない。

南禅寺境内という特殊な私有地のお陰で、歴史と最新技術や最新の生活スタイルが共存でき、違和感を多分に含んだ水路閣も京都を代表する景観の一つになった。久しぶりに行ってみても、当然ながら変わらぬ佇まいで、その美しい連層のアーチが迎えてくれる。

日本は古いモノは新しいモノに入れ替わっていく事が正しいという価値観を持っているように思う。建物のスクラップ・アンド・ビルドのペースは酷く、事務所で25年、住宅で35年ぐらいが平均寿命じゃないだろうか。お陰で、日本の歴史ある風景は、こういった特殊な私有地でしか育まれてこなかった。だから、皆が持っていると勘違いしている原風景は、寺社仏閣に絡んだものばかりだろう。東京でもかつての武家屋敷の庭園は、大使館等の「特殊な私有地」に残っているものが多いと聞く。

よく、日本には歴史がある、1000年を越えるような歴史的建造物が残っている素晴らしい国だという言説がある。私はそうは思わない。なぜなら、残っている歴史的建造物は全て寺社仏閣に関係する「特殊な私有地」が保管しているものばかりだからだ。

なぜ、私たちは古いモノをありのままに受け入れ、古いモノの価値を見いだし、そこに現代的な価値をアドオンするような思考を持てないのだろうか?全てを壊す事でしか新しい価値を作れないのだろうか?

日本では、風景や歴史は個人で完結してしまい、そこに連続性や関連性を見い出せないので残す価値の無いものなのかも知れない。特殊な私有地にあるモノ以外の、消え行く古いモノの価値の多くは外国人によって見いだされ、外圧によって維持されて行く。日本人が自分たちの価値観として残して行きたいモノってなんだろう?

全てが消え行くものと考える価値観を持つ国が見つめる未来は、どんな未来なんだろう?そんなことを、南禅寺水路閣で考えていた。

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