2011年4月11日月曜日

任天堂-"驚き"を生む方程式-

今は事業が極めて絞られている任天堂も、その昔は多角化を推進していた時期もあり、タクシー会社まで経営していたらしい。創業家の先代山内元社長も今ではカリスマだが、かつてはかなり迷走していたとの事。

ある時期に「ソフトが主、ハードが従」と見切った事から、現在の任天堂の躍進が生まれている。

ソフトは、”人間が生きるために必要なモノを扱うわけではないので、喜びや驚きがないと見向きもされないし、わかりやすく快適でないとそっぽを向かれてしまう”という意識が根底にある。逆に、”モノづくり=ハード=必需品。このカテゴリーにいる会社は、より良いモノを安く作ることが至上命題である”とする。つまり、”技術や性能、価格といったハードの出来ではなく、コンテンツの面白さやルール、仕組み、すなわちソフトの出来が求められる世界である”と、ハードとソフトの違いを表現している。

さらに”娯楽に徹せよ。独創的であれ。必需品と区別しろ。身の丈を知れ,,,”など、山内の教えは明文化される事無く任天堂の企業文化として浸透している。それは”よそと違うことをしなさい、人は同じことを続けたら飽きてしまう、環境の変化に大して柔軟でありなさい、過去に成功した方法が未来にも通じると思ったらいけない...”という理解に繋がっている。

そして、山内が定義した任天堂の社名の由来は”人生一寸先が闇、運は天に任せ、与えられた仕事を全力で取り組む”という意味が込められている。”人事を尽くして天命を待つというのは違う。人事は尽くせない。努力は際限ない”ということから”最後は天が決める。それまでは最前を尽くせ”ということだ。

さらに凝縮すると、”いい時は運に感謝する。悪い時は運がなかったと思い、次へ行く。常に平静であれ”と考え、”失意泰然、得意冷然”という座右の銘にたどり着く。

山内思想のインパクトが強くて、引用ばかりになってしまった。今後は何かとサービス/ソフトへ軸足を移していく必要があると思う。その時は、やはり必需品と言えるようなものではなく、生活に潤いをもたらすようなモノを提供する事を目指す必要があると思う。つまり今後、山内思想はますます重要になるだろう。

すなわち今の世に生きる我々の基本的な心構えは「失意泰然、得意冷然」たるべき、という事だ。常に淡々と前を向いて進もう。

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