2011年6月27日月曜日

復興構想会議による不透明な提言

先日、公開された復興構想会議による提言にガッカリしたのは自分だけだろうか。
復興への提言〜悲惨のなかの希望〜

この極めて情緒的で文学的なタイトルからして、提言の趣旨を間違っているような気がしている。そもそもこの会議体から何か意味のある事が出てくるとは思ってなかったが、予想を上回る無意味さだと感じた。

復興構想7原則とやらを見ると、会議の迷走具合が分かる気がする。

原則1:失われたおびただしい「いのち」への追悼と鎮魂こそ、私たち生き残った者にとって復興の起点である。この観点から、鎮魂の森やモニュメントを含め、大震災の記録を永遠に残し、広く学術関係者により科学的に分析し、その教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する。

まず、「鎮魂の森やモニュメントなどの記録を残し、教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する」ことを原則1に置いている時点でおかしくないだろうか?

3ヶ月経っても、ドラスティックには進展していない震災復旧・復興に対して、まず最初に言うべき事が、記録や教訓の伝承なのだろうか?私は違うと思う。現在の復旧を阻んでいるものは既に見えてきているだろう。高地避難、仮設住宅、がれき処理、遺体埋葬、ボランティアの減少など、直近でやるべき事、越えるべき、変えるべきハードルは山のようにある。

本会議体が、もっと未来を見た提言であるとしても、第一義とするのは記録ではないだろう。

原則2は当たり前だからいいとして、原則3は、何か具体的な策を提示しない限り、全く意味がない。「技術革新を伴う復旧・復興を目指す。この地に、来たるべき時代をリードする経済社会の可能性を追求する」。失われたと言いながら手を拱いて、口だけ動かしてた20年間に定番になった文言だ。これって、若者を呼び込めるような技術の集積地になる必要があると思うが、そういった方向性は微塵も感じられない。

原則4の前段「災害に強い安全・安心のまち」は被災地である以上、当たり前だが、自然エネルギー活用型地域の建設は言い過ぎなんじゃないか、と思う。まだ、原子力をどうするかも決まってないし、自然エネルギーがエネルギーの中心に躍り出る可能性は、今のところ、低い。きっと、この地域で住宅を建てるときは、太陽光発電パネルを標準装備とする、といった辺りでお茶を濁され、全く本質的じゃない形で実現しそうな気がする。

そして、原則5は日本経済の再生と同時進行での復興を目指すとある。確かに今のままだと復興の原資がない。ただ、今のように電力を制限して、結果として電気代を上げて、産業の空洞化を促進させるような策を打っている中で、日本経済の再生もないもんだ。今回の被災地が復興し、日本経済にプラスのインパクトを与えるようになるまでに、最低でも10年は必要だろう。どうやって再生と復興を同時進行させ、これからの10年間をどういった心構えで進むべきかは、具体的なマスタープランを提示しないと、空疎に響くだけだ。

原則6になって、ようやく原発対策だが、基本的に何も言っていない。

最後に原則7。中身はなく、「国民全体の連帯と分かち合いで復興を推進する」という、あえてここで明文化する必要があるのか疑問に感じる文章だけが踊る。

こんな情緒的な内容は誰も望んでないんじゃないかな。望んでいたのは、もっと合理的に、現状考え得る最善策としてのマスタープランだったと思う。原則に掲げられている順番を見るだけで、この会議体の結果が復興にプラスに働かないことだけは分かった気がする。

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