chikirinさんのブログで「都市はローカル、地方はグローバル」との意見に非常に共感した。
街ならではの価値を残そうと思うと、ある一定以上の人口集積が必要で、そうでない街はユニークな価値を維持する事ができない。その結果、標準的な価値に身を委ね、グローバル化する、ということ。
確かにその通りなんだろうな。
人を集める事を第一義に置くと、便利さやステータスが最大の価値になる。集まってくる人を飽きさせない事を第一義に置けば、多様性だとか面白さだとか拘りだとか思いがけない出会いだとかが、価値になるだろう。
自然と人が集まってくるポテンシャルを持った街は、幸いな事に便利さやステータスを追求する必要がない。だから、そこにあるお店や施設は自由だ。自由でいる事が、その街での価値の一部になり、それを求めて人が集まる。
ただし、自由であればあるほど、興味を持ってくれる人は少なくなるので、それでも生計が成り立つほどに集客規模=街の魅力や商圏が大きくないとダメだろう。
地方都市は商圏という点で、新興都市は魅力においてポテンシャルが低い。こういった都市は、便利さを第一義としてグローバル化するより他ない。結局、商圏と土地の魅力を兼ね備えているのは、昔ながらの大都市しかあり得ない。
そして、渋谷はよりローカルに、新三郷はよりグローバルになっていく。
面白い事に、ローカルを追求した都市の商圏は広がる一方だが、グローバル化した都市の商圏は小さく固まった状態になる。銀座には日本中、いや世界中の人が訪れるが、ららぽーと横浜を訪れる人は半径20km圏内ぐらいだろうか。
善し悪しではなく、街の役割分担とも言えるかも知れない。
街の価値は街それぞれだが、人を集め、その人々に何らかの効用を与えようと言う事では一致している。そういった意味では、集まった人々にどういった価値を提供しようとしているか、という明確な意思の持たない街が、だんだんと厳しくなって行くのかな。
人も会社も街も同じだね。きっと国もそうなんだろう。
2011年6月1日水曜日
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