facebookをはじめとするsnsは、人の人格や人間関係を一つに収斂させようとする点で、全く共感できないし、正しいとは思えない。
様々なサービスのアカウントを持ってはいるが、一つとして活用していない。
facebookで繋がりを持ちたいのは、誰なんだろう?家族?故郷の友人?現在地での友人?知り合い?趣味仲間?子供の学校関係の親仲間?彼女?昔の彼女?秘密の関係?会社の同僚?仕事の関係者?
サッパリ分からない。
家族との会話を会社の同僚に聞かせたいとは思わないし、秘密の関係にある人との秘密の会話が彼女に聞かれるとマズイだろう。
人格や人間関係を一つに統一するという事は当にそういった事で、一ヶ所でもその関係の輪と整合しない主体があれば、破綻する。
全てを開けっ広げにできる人っているんだろうか?また、いたとして、その人は魅力的な人なんだろうか?
新しい関係が生まれる度に昔からの関係の輪に取り込み、整合させなければいけない。素っ裸の自分を曝け出さなければいけないのだ。少なくとも自分には無理だ。
新しく知り合いになった人が、表面上はとても良い人だけど、深く付き合えるような人じゃなかった場合、昔から関係の輪にいる人は、どんな反応を示すんだろう?
「あいつ、やめといた方がいいよ」というのをfacebookで伝えるのもどうかと思うけど、そこにメールを使うのも間抜けだ。それとも静かに顛末を見守り、ヤバくなったら忠告するのかな?
どっちも人間性を疑うな。。。
いずれにせよ、人格や人間関係を一つにまとめるなんて事、できるわけが無いと思う。それぐらい人間っていうのは複雑にできている。
ソーシャルグラフなんていって無邪気に喜んでいる人に、そういった人間の多面性、多様性についてどの様に考えているのか、問うてみたい。
ネット上でリアルの人間関係を、一つのシステムで再現するのはムリだ。様々なサービスがニッチなサービスをそれぞれに提供し、アカウント情報だけを共有する、という方法はあるだろうが、ニッチなsnsサービスが長続きしないのは、既に実証済みだ。
ソーシャルグラフの未来は、そんなに明るくないと思う。
2011年6月15日水曜日
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