2011年12月5日月曜日

誰かが決めたルール

日本人はセットが好きだ。自分で組み合わせを考えるよりも、誰かが考えた組み合わせの選択肢から選ぶことが好きだ。まぁ楽だからね。

アラカルトで頼むよりも、例えばセットだったり定食だったりする方が安心するんじゃないだろうか。誰かが決めたルール、それがある程度合理的でリーズナブルであれば、一旦は乗っかってみようとする傾向は強いと思う。人が設定した土俵は、そこに乗っている限りにおいては快適だ。いかにも評論家的にセットの良し悪しを論じるだけで、事は足りる。また、セットには組み合わせの妙が入り込む余地が生じる。ある意味で一段の加工を加えた形になる。うまくハンドリングできれば付加価値が高まるということだ。

つまりセットメニューは、作り手側にとっては利益の源泉となりうるし、受け手側にとっては判断を簡略化するための提案ということになるが、実はセットメニューというのはPull-Push型のシステムだということに気づいているだろうか?

通常、セットを構成するメインの要素を選択することで、残りの部分がくっついてくる。一つを選ぶと、その他がある程度自動的に抽出され提案される。その抽出方法はさまざまで、定食だとメインを引き立たせて栄養バランスが良くなるような組み合わせが選ばれる。パソコンでも一昔前は大量のソフトをバンドルし、それが一つの魅力のように語られていた時期もある。何かが欲しいという消費者のニーズをトリガーとして情報や商品を手繰り寄せてもらい、そこに乗せる形で別の情報や商品を提供するという形が一般的に用いられ、さまざまな領域で効果を発揮し続けている。

しかし、いまだにネットのサービスはPull-Pushをうまく使えていないように思う。大体がPullだけ、またはPushだけだ。検索して目的の情報を得られたら、その情報をひたすら掘り込んでいくようなドリリングサービスか、自己位置認識などをベースにしてユーザーの意図とは関係ない情報を単に提供するだけか、しかない。

何をPullしてもらって、その時に何をPushするのか?それが問題だ。

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