2011年12月28日水曜日

「坂の上の雲」完

年末の楽しみだった「坂の上の雲」が終わった。

三年間に亘って、12月の一月だけオンエアされるという新しいドラマの形は、ドラマ作りの時間的な制約から、ある部分では解放されたのだろうと思う。豪華なキャストと重厚なセットやCGに、その成果を見ることができる。

一昨年の冬は三人の主人公の青春群像、昨年は日露戦争へと転がり落ちて行く政治緊迫と軍の台頭、この12月は日露戦争の攻防が、そのテーマだった。

司馬遼太郎の小説は恥ずかしながらまだ読んでないが、このドラマで毎回繰り返される、小説のあとがきに書いてあるというセリフが、全てを物語っている。

『このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでいく。(中略)楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。』

ドラマのシーンでいつも印象的なのは、軍や戦争における情景は欧米と全く遜色ないのに、一般家庭の暮らしぶりは、たかが100年ほど前の物語とは思えないほど、遥かに慎ましく、貧しいことだ。衣食住の全てに亘って、江戸時代の雰囲気を残し、近代化という言葉からはほど遠い暮らしをしていた事が分かる。考えてみれば、登場人物の殆ど全ては江戸時代生まれなのだから、当たり前なのかも知れない。時代と言うのは、結局数十年というペースでしか変わらないと言う事だろう。

全てにおいてキャッチアップしなければならない時代であり、し損ねた時は植民地化される危険性を孕んだ、とんでもない緊張感、危機感に満ちた時代だった。だからこそ、特に軍においては、その存在や方針に迷いやブレはなく、結果として、坂の上の雲を一目散に目指すしかなかったと言える。そのような中では、楽天家以外に存在し得ないというのも分かる気がする。

日露戦争の日本海海戦での完璧な勝利以降、秋山真之は「人が死んでいくのを仰山見過ぎた。坊さんになりたい...」と嘆く。要は、坂の上に登ってみたら、雲は遥か高く、届かないどころか行き方も分からなくなった、と言う事ではないだろうか。国同士が競争する時代に、軍備を拡張していくことの意義は分かるけど、戦いに勝利しても得られるものはなく、ただ恨みや悔悛が残るだけ、ということだろうか。

日露戦争は第0次大戦と言われることもあるらしいが、単なる局地戦ではなく世界中を巻き込んだ初めての戦争という事になる。第二次大戦での終戦間際のソ連の参戦やその後の北方領土占拠は、この日露戦争の仕返しなのかも知れない。

翻って、今の時代は、ある意味キャッチアップはおわり、諸外国と肩を並べる立場になっている。追われる身を長年続けてきている欧米に比べて、ベンチマークされ、リーダーシップを期待される立場にいた事がない日本は、非常に頼りない政治・経済状態が続いている。

明治維新から日露戦争まで一直線に進んでなお、庶民の感覚としての時代の変化は始まったばかりだったとすれば、変化が認知できるようになるまでには25~30年はかかっている事になる。仮にキャッチアップをある程度済ませた時期を、バブルが頂点にあった1985年ごろとすると、2011年現在で26年が経過している。つまり、今からが目に見える変化の時期で、今まではその雌伏の時間だったと考える事もできる。

ようやく「雲の下の坂」が見えてきたとは言えないだろうか。足元が見えずフラついていた時は終わりつつあると思いたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿