2011年8月3日水曜日

国民栄誉賞の形骸化、無価値化が進む

なでしこジャパンが国民栄誉賞を受賞するらしい。初めての団体での受賞。何となく違和感があるが、まあ本人たちは貰う気だし、喜ばしいことだと思うし、この時期に成し遂げた功績として称えるのに異存はない。

もともと定義がなくて、その時々の宰相が人気取りも兼ねて贈るもののようなので、余命いくばくもない菅内閣にしてみれば、格好の的ということだろう。

正直言って、このタイミングだからという事と、全く予想もしてなかった事がが大きかったのだろう。

スポーツで言えば、北島康介のオリンピック2大会連続で2種目金メダルなんて国民栄誉賞ものだと思うし、浅田真央とか安藤美姫とかもそうなんじゃないか、と思う。柔道の野村忠宏なんてオリンピック3大会連続金メダルだよ。女子の場合、サッカーに比べるとバレーの方が競技人口が多いので、最近の女子バレーの躍進も目を見張るし、錦織圭もいよいよ日本人最高位だし、頑張ってるスポーツ選手・団体はいっぱいある。

違和感があるのは、「なでしこジャパン」としてしまったことで、今後の活動に影響が出ないか心配する。何となく、今までの功績をそれぞれの業界並びに社会への影響大なることを祈念するものだろうと思うので、少なくとも競技なり活動を辞めるもしくは一定の地位を築いた段階で、ということが普通だろう。そうでないと、せっかくの喜ばしい顕彰が、足を引っ張りかねないからだ。

引退後ならば、素晴らしい人がいた、という以上の事はないのだが、「なでしこジャパン」としたところで、素晴らしいチームが永遠に存在することになる。それとも、金輪際「なでしこジャパン」とは付けないつもりかな?

国民栄誉賞を受賞した王貞治はスゴイ選手だったという事と、国民栄誉賞を受賞したなでしこジャパンはスゴイチームだったというのは、同じかな?例えば5年後にも同じように言われるのだろうか。王貞治は5年歳を取るだけだが、なでしこジャパンは全く別物だ。なでしこジャパン2011としてみたところで、これから日本代表になる人たちは、過去の亡霊と戦うことになる。それも、追いつくことはできても追い抜けない亡霊と。

なでしこジャパンの今後も心配だが、もともと曖昧な国民栄誉賞が更にグダグダになっていくのも気になる。菅直人のやり方は、全てをグダグダ、グズグズにして、周りの人を巻き込みつつ無価値化していく。

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