2011年8月15日月曜日

鎮魂の原野

先日、初めて被災地を訪れる機会があった。女川、石巻、閖上、仙台港、仙台空港...

大きな衝撃は、ゼロになった土地にかつては住宅がいっぱい建っていたという事実と、その全てがガレキと化し、いたるところに高さ10mはあろうかという山を堆く作り上げていたことだ。

正直言って、かつての風景を知らない人間からしてみると、そこに何があったのかを想像することすらできない。この5ヶ月の関係各位の努力によって、ガレキが綺麗に片付けられているので、今更ながら現地を訪れる自分のような人間にはリアリティが薄く、ただただ荒野が広がっているのみだった。

それにしても被災地というのは、一緒くたに語れるものではないということが良く分かった。

基礎自治体が完全に破壊されている場所、街の9割方は今まで通りの生活をしている場所、高地移転に適した土地がある場所、逃げ場のない平野部、漁港、農地...

様々な被災地の形があり、また同時に復旧・復興の形があるんだろうと感じた。いずれにせよ、長い時間がかかるのは間違いない。復旧・復興の形についてコンセンサスを得るだけでも、かなり難しい。

戦後66年、もしかしたらもっと長い時間をかけて作り上げてきた社会資本がゼロになってしまったのだから、相応のコストと時間がかかるのは当然だろう。今までの投下資本量を考えると、完全に復旧するのは無理だろう。中途半端な復旧はサステナビリティを損なう可能性が高い。

街が衰退していくことを、かつてそこに住んでいた人々は望んでないだろう。新しい街づくりに向けたグランドデザインが求められている。鎮魂のためにも。

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