2011年8月1日月曜日

リスクを取り込む時

日本はリスクを排除したがる傾向がある。排除できない場合には、なかったものにするという行動を取る。それは政治も民間企業もみんなそう。

きっとリスクを押さえ込むことでしかコントロールする術を知らないんだろう。そのコントロールを超えた事態は、想定外として思考を止める。先日の地震やそれに伴う津波や原発災害もそう。その後の行動は、想定外だった事象を想定内に入れるだけ。想定外を取り込んだ形での想定はしない。

最近だとSonyの顧客情報漏洩とハッカーに対する対応、ホリエモンやLibrahackの事件も同じだろう。とにかく想定を超えたモノに対しては、異常なまでにエキセントリックに対応し、なかったことにする。想定を超えるような事象があり得るというアタマがないので、取れるリスクを線引きして、それ以上は関知しない事で対応する。

かつての黒船来航もそうで、それ以前に多くの兆候があった訳だが、それらを一切なかったものとして無視し、いざ起こったときに慌てる。想定外を排除する形に慌てて修正しようとするものだから、非常に極端な対応になってしまう。実はそれが思いもかけぬ奇跡を生み出すこともあるから不思議で、極端な対応が明治維新や高度成長に繋がっている。

欧米が、日本のような奇跡を起こせないのは当たり前で、彼らは想定外をしっかりとリスクの中に取り込んでいるので、想定外と思えるような巨大な事象が発生した後も極端な行動に走らない。だから、歴史には連続性があるんだと思う。

これらは一見、一長一短あるそれぞれの国民性のようにも思えるが、その時代を生きている人にしてみれば、ある程度読める未来と読めない未来では大きな差がある。

江戸末期、終戦に至るまでの期間、そして現代は、そうした日本人のDNAによる停滞時期でもある。異常な円高も想定外だろう。為替対策はせず、無視している。富士山大噴火も東海地震も想定外だろう。実質的には何の対策もしていない。想定外を無視し続ける間は社会が停滞し続けるのは、歴史が証明している。

様々な想定外が起こり、それらを全て取り込めた時、次の歴史が始まるハズだが、いつ始まるのかは誰にも分からない。そして、それがどれほど大きな波になるのかも。

日本の未来は読めない。

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