2011年8月10日水曜日

文化を滅ぼす考え方

京都五山送り火に陸前高田の松を使うというプランがあったが、受け入れ直前に断られ、8日に陸前高田で迎え火として燃やされたそうだ。

断りの理由は「放射能」。

もともと含まれていたとしても、ごく微量だろうが、受け入れ側としては一応検査をして、汚染されてないことの確認は済ませていた。

にも関わらず、ということらしい。

陸前高田はいわゆる計画的避難区域にも入ってないし、基本的に放射能汚染に対して過度に警戒するよ必要もない。また、仮に汚染されていたとしても、野焼きした薪からでる灰が、さほど広範囲に広がるとは思えない。

そのような地域から送られる鎮魂のための松明。

京都五山送り火は、今となっては一つの観光事業だが、元々はお盆で帰ってきている死者の霊を、お盆の終わりにお見送りする儀式だ。

今年は、東日本大震災で亡くなられた方が身内や知合いにいる方にとっては、特別な、本当に特別なお盆だと思う。その鎮魂の場の一つとして京都が選ばれたのは、すごく意味のあることだし、実現していれば、被災された方への癒しにもなるし、五山送り火の価値が高まるとともに、少し質が変わったかもしれない。

観光色よりも儀式色が強まり、より厳粛な、宗教色の薄い日本にとって意味のある行事になったのではないか。

京都は新しい価値を築くチャンスを逸した。

この下らない決定は、そもそもの送り火の意味を毀損し、京都の価値を貶めたと思う。これからも、歴史遺産に寄りかかって、過去を振り返ることでしか存在意義を見出せない、レベルの低い都市になっていくのだろう。

こういった決定を促してしまう民度の低さと、東北の産物を全て拒絶する思考停止ぶりに、驚くばかりだ。

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